関りを小さくして、繋がりを自分の都合だけで決めてしまうことが増えてしまっている気がします。
改めて自分の都合だけで物事を行ってしまい、他の者のことを考えているふりではなく共に関わりをもち、
共に生活している、助け合っている身であると考えていただきたいです。
一緒に考え、大切にしていただきたいので葬儀・年忌法要を寺でお勤めいただきたいです。
生まれてくることは必ず亡くなる。分かっていることであっても、考えることを放棄してしまう私を教えて頂ける場であり、生まれてくることと亡くなることを別にしてしまっているかもしれない私を見つめていただきたいです。
生まれてくるときは「おめでとう」亡くなるときは「かわいそう」 どうしても感情だけのものにしてしまうところがありますが、この世に生まれることは、色んなしがらみや苦しみの中で生きなければならない。
「おめでとう」であり「かわいそう」であるもの。亡くなることも色々な苦しみから離れ、お浄土に生まれることができるので「おめでとう」そして大切な方との別れで「かわいそう」どちらも同義であります。
寺での葬儀を行っていただきたいです。